こんにちは。
合気道三級のばーやん(@yurumaji_aikido)です。
今回はシンプルに、僕が合気道を始めた理由について書いてみようと思います。
というか、これまで書いてなかったことに今さら気付くっていう……。
遅いですよね(^_^;)
最初に書いといてもいいくらいなんですが。
理由はいくつかありますが、どれが決定的ということもないんですよね。
いろいろ重なった結果、自分の求めているものが合気道だった、という感じなので。
合気道を始めるかどうか迷われている人がこれを読んで、少しでも後押しができれば嬉しいです。
新しいことを始めるなんて、ちょっとした理由、ちょっとしたきっかけで良いんですよ(^^)
少しでも参考になれば幸いです。
目次
武道全般に興味があった
これはかなり前からなんですが、合気道というよりも武道全般に興味がありました。
それも「武道をやりたい」ではなくて「武道について知りたい」という欲求の方が強かったですね。
というか、今も「やりたい」より「知りたい」の方が気持ちとしては強いです。
知るためにやってる、という感じ。
ではなぜ武道に興味があったかというと、一言で言うと「精神性」ですかね。
身体の鍛錬はもちろんですが、精神的な鍛錬というイメージが武道に対しては強くありました。
武道家と呼ばれる人たちの発言や佇まいを見ていると感じる「只者ではない感」。
その秘密や根拠を知りたいというのが大きな理由の一つです。
↑どう見ても只者ではないですよね(^_^;)
いわゆる「格闘家」にはない凄みがあります。
あと、「これだけ多くの人が惹きつけられるなら、武道を学ぶことで得られるものがあるに違いない」
という予感もありましたしね。
なので、ただ強さを求める格闘技には全く興味がありません。
というか、やりたくありません。
痛いのはイヤですし(笑)
合気道を始めて 2 年半ほど経ちますが、まだまだその核心には触れられていません。
ただ、続けていれば近づくことはできるだろうという予感は強くなっています。
始めて良かったと思います。本当に。
試合がない、勝ち負けを決めない
ではなぜ数ある武道の中で合気道なのか、という話ですが。
まず最初に面白いと感じたのが、「合気道には試合がない」ということです。
試合がない、勝敗を決めない・求めない、優劣を評価しない。
つまり、自分と他人を比較しないという、そのスタンス。
空手や柔道など、他の武道はもちろん試合があります。
なので誰が強いか、誰が優れているか、ということは一目瞭然。
客観的にはっきり分かります。
でも、合気道には試合がない。
ということは勝ち負けもない。
しかも他人の技を批判したり否定したりすることも禁じられてるらしい……。
「??」
正直、よく分からなかったんですよね。
勝敗優劣を決めないと言いながら、段位は存在している訳で。
ということは誰かが何らかの評価をしているはずなんですが、批判も否定もしない。
どういうことだ? と。
前述の通り、僕は「強くなりたい」という欲求とは無縁です。
もちろん「試合に勝ちたい」という欲求も皆無なので、試合がないのはむしろ好都合。
それを入り口にして、僕は合気道に興味を持ち始めました。
まぁ、始めてみたらすぐに分かることなんですが、評価を下しているのは館長だったり先生方なんですよね(笑)。
必要な日数の稽古を積んで、昇級・昇段審査を受けて、館長以下先生方から評価されて、合格すれば昇級するし昇段もする。
ただそれだけのことで。
でも、それぞれにそれぞれの技がある、だからそれぞれで工夫しなさいよ、という合気道の基本的な考えは素晴らしいと思います。
(ひょっとしたら他の武道でもそうなのかも知れませんが)
人それぞれ体格も性格も違いますからね。
先生に教えてもらったことをまずは忠実に守る必要がありますが、そこから先は工夫をして自分なりの技に仕上げていく。
だから人によって技は微妙に違うし、それを批判したり否定したりすることに何の意味もない。
道場によっても全く違いますし。
ただ受動的に教えられるだけではなく、能動的に自分で工夫していく必要があります。
その過程で精神的にも成長できるのかなぁ、とも思いますね。
合気道は論理的
合気道に興味を持っていろいろ調べていく中で、他の武道との違いが徐々に分かってきました。
中でも特徴的なのが、合気道の技は身体の構造に基づいて(利用して)論理的に相手を制することができる、ということ。
他の武道や格闘技と違って、力で押さえ込んだり無理やり崩したり、ということではない。
身体の構造として、この部分をこうしたら相手はこう崩れざるを得なくなる、ということが合気道の技では発生している(らしい……)。
合気道を始める前は全く実感なかったですけどね。
いまいち意味は分かってませんでした。
(体験したら一発で分かりますけど)
ただ、僕は「論理的である」ということに魅力を感じたんですよね。
昔っから僕は「理屈っぽい」と言われ続けてきましたし(笑)。
頭で理解できないことは出来ない(やりたくない)タチなんです。
論理的であるということは、その論理を理解できさえすれば技をマスターすることも可能なのでは?
と、当時の僕は考えました。
身体を鍛え上げて、パワーやスピードを付けて、反射神経や動体視力のトレーニングもして……というのは性に合いません。
頭で考えて理屈をこねくり回す方が楽しいので。
合気道を実際に始めてみて分かったのは、身体の構造に基づいているのは相手を制するところだけじゃないんですよね。
自分の身体についてもしっかり理解してないと、合気道の技はできません。
転換なども傍から見たらただ回っているだけですからね。
実際は自分の身体の動かし方も理解した上で、回転の軸や重心の位置や目線の方向なども意識しないとスムーズには回れません。
稽古をしていると、今まで使ったことのない身体の能力を引き出しているような気がして楽しいですね。
自分の身体の可能性を感じます(笑)。
合気道は力が要らない(と思ってた)
「合気道は論理的」と繋がるんですが。
僕も多くの人と同じように、「合気道は力が要らない」と思ってました。
だからパワーもないし身体がヒョロヒョロの僕でも、理屈さえ分かってしまえばできるだろうと。
いやー、甘かったですね。
別の記事でも書きましたが、合気道は「力が要らない」のではなく「力を入れてはいけない」んです。
やはりある程度の力は必要です。
ムキムキになる必要はありませんけど。
同じくらいの技術を持った人同士であれば、力が強い方が有利なのは間違いありません。
体幹もしっかりしていないと技がブレます。
空手や柔道などは、どう見てもパワーが必要ですよね。
だから僕は最初から選択肢にも入れていませんでした。
どう考えても、今から始めて強くなるイメージは湧いてこなかったですから。
痛いのはイヤですし(2 回目)。
合気道であれば力がなくてもできるだろう、と。
当初の僕はそんな考えでした。
甘い! 甘すぎる!
まぁでも空手や柔道ほど鍛える必要はありませんけどね。
そういう意味では、この選択は間違っていなかったと思います。
今の道場に決めた理由
そんなこんなで合気道に興味を持ち、いざ始めてみようと思って道場の見学と体験稽古に行きました。
ネットで近所の道場を探して、稽古を行っている曜日や時間を確認して通えそうなところをいくつかピックアップ。
その中から良さそうなところを適当に決めようと思っていました。
で、最初に行ったところが今も通っている道場です。
他の道場には見学すら行っていません。
いわゆる即決です。
なぜそんなすぐ決めたかというと、見学・体験のときの感じが「普通」だったんですよね。
つまり、ほとんど違和感がなかったんです。
道場の雰囲気も、先生や先輩たちとの会話も、稽古の内容も。
「普通」だったんです。本当に。
これは今でも奇跡だと思っています。
いきなりこんな道場に出会えるなんて。
「他の道場を見に行っても、おそらくここを超えることはないだろうな」
とその場で思ったので、すぐ決めました。
ただ、そのときは館長が不在の日だったので、改めて館長が指導される日に伺って面談。
そこでも何の違和感もなく、というかむしろ館長とお会いして確信が深まりました。
「この館長だから、他の人たちもこうなんだろうな」と。
道場で指導して下さっている先生方も、その館長のお人柄に惹かれた方ばかりだそうです。
分かります。
以前 Twitter でも書いたんですが、館長は「仕事や家庭が第一。合気道はその次」ということを常々仰っています。
ただ「仕事や家庭が第一。合気道はその次」という館長の方針には深く共感しているし、実際に危ない目に遭ったときは「こんな技は役に立たないから、一番簡単な技で相手を倒してさっさと逃げなさい」と常々仰る館長のことを心から尊敬・信頼しているので、僕はこの道場に出会えて良かったと思ってる。
— ばーやん@ゆるくまじめに合気道 (@yurumaji_aikido) December 16, 2018
なので、稽古の開始時間に間に合わなくても特に何も言われません。
しばらく稽古を休んでたりすると「大丈夫? 仕事忙しいの?」と逆に心配してくれたりします。
館長イズムがしっかり浸透してるんですよね。
ここは正直、人によって考えが違うところだとは思います。
「遅刻なんてもっての外!」という考えの人も居るでしょうし。
こればっかりは相性なのでどうしようもないですからね。
僕は相性ぴったりの道場がいきなり見付かって本当にラッキーでした。
これから道場を探す人も居ると思いますが、きっとあなたに合う道場があると思います。
まずは見学や体験をしてみてください。
道場の探し方の記事
あなたにとって素晴らしい道場が見付かりますように。
合気道を始めてから気付いたこと
合気道を始める前には思ってもいなかったメリット(?)もありました。
いくつかご紹介します。
師を持つことの喜び
まず、「師」と呼べるほどの人と出会えたことの喜びは大きいですね。
これはとても新鮮な驚きがありましたね。
教わることの大切さと有難さを感じます。
40 歳手前の(敢えて言いますが)おっさんがですよ?
今さらイチから何かを教わるなんて経験できませんからね、普通。
それも、「この人の言うことなら全面的に受け入れよう」と思えるほどの信頼感があります。
これはすごい。
学校の先生にもここまでの信頼を置いてませんでしたから(笑)。
「今はまだ分からないけれど、この人に付いていけばきっとどこかには辿り着けるだろうな」という予感があるので、いろいろ指導してくださることも素直に聞けるんですよね。
合気道以外のお付き合いはほとんどありませんが、人としても素晴らしい方であることははっきり分かります。
この方と出会えただけでも合気道を選んで良かったと心から思います。
家と職場以外のコミュニティ
道場で会う人たちは、当然のことながら家や職場とは違う人たちです。
基本的には合気道で繋がっているだけですからね。
他のコミュニティで何か嫌なことがあったりしても、道場に行けばそれとは関係なく普段通り話ができたりする訳です。
精神的な安定という意味で、これは本当に効果的だと思いました。
自信を回復できるというか。
さっきまで落ち込んでいたとしても、「大丈夫かも知れない」と思えたりするんですよね。
不思議です。
もちろん道場の人たちとの相性は大きなポイントです。
僕はたまたま「普通」に過ごせる人たちと出会えたのでラッキーだったんですけど。
僕自身がこういう体験をしたので、子どもも大きくなったら道場に通わせようと思います。
家と学校だけが社会の全てではない、ということを知っておいて欲しいので。
いろんな年齢層の人と話ができるので、勉強にもなると思いますし。
人が集まる場には、何かパワーがあるんでしょうか。
本当に不思議です。
気分転換になる
稽古はしっかり集中しないと危険です。
ケガしますからね。
なので、稽古をすることで自然と気分転換になっちゃうんですよ。
これも実際にやってみてから分かったことです。
稽古の前にあれこれ考えることがあったとしても、いざ稽古が始まると目の前のことに集中せざるを得ません。
そうすると、それまで考えていたあれこれが一時的にどこかへ消えてしまいます。
もちろん稽古が終わったら戻ってきてしまうんですが(^_^;)
まぁそれでも稽古の前と後では、同じ事柄に対する心持ちが変わっていたりするんですよね。
ぐっすり眠ると悩んでいたことが和らぐなんてことがよくありますが、それと似たようなことかも知れません。
その経験をしてしまうと、嫌なことがあったときにも「あぁ稽古がしたい」という気持ちになってきます。
前項の「別のコミュニティ」の効果も相まって、なかなか効果的な気分転換・ストレス解消の方法だと思います。
運動不足の解消
これは思いもよらなかったというか……。
正確に言うと「合気道がこんなに激しい運動だとは思わなかった」という感じでしょうか。
正直、ナメてましたね(^^;
まず、受け身がしんどい。
ごろんごろん転がるだけでも、なかなかの運動量です。
全身の筋肉を使いますしね。
転がって立ち上がって転がって立ち上がって……を数回繰り返すだけでも、足腰は充分ヘロヘロになります。
じゃあ取りの方は楽かと言うと、もちろんそんなことはありません。
背筋を伸ばして腰を落とした姿勢をキープしないと技が崩れますから、これはこれで大変です。
今までとは違う身体の使い方や動かし方も多いですから、まったく予想外のところが筋肉痛になったりしますし(笑)。
もっと上達すれば余計な力を入れなくて済むようになるんでしょうけどね。
筋肉痛になってるうちは、まだまだということです。
始めてみれば何かしらいろいろと発見があるものです。
もし始めようか悩んでいるのであれば、小さなきっかけでも始めてみたら良いと思いますよ。
例えばこの記事を読んだから……とか(笑)。
一足先に、道場でお待ちしております。